久しぶりに日曜日の夜に誘われて新宿に行った。
だいたい月曜日を考えて、日曜は夕方あたりには外に出なかったのだけれど金曜日、土曜日と外で過ごし続けたために勘が狂ったよう。
よく行く店で、なんか話して楽しく過ごしたけれど、やっばり話の端々に今の自分の不甲斐なさというか、何もやらないことで高みから物を話せる居場所を保っているということに対する小さな苛立ちを感じた。
この前、お茶の祭典の小林が大好きなバンドの自主企画に行って酔っ払って、強く感化されて電話してきて、続けなければいけない、というような話をしたときに感じた苛立ちと全く同じ種類の小さな苛立ちだった。やってない人間が何の攻撃も受けない場所から色んなことを言って溜飲を下げるな。やった人間、やり続けた人間だけが言える言葉がある。
柴田聡子の遊んで暮らしてという曲に、「季節はくるより行くばっかりで 犬も食わない幸せな朝」という苦虫を噛んだような顔で反応してしまう歌詞があるけれど、今まさにそういう感じで一年近く東京の片隅に身を置いているんだなと思う。やらなくちゃと思う。
言葉は重いけど、言葉の出元によって重力は変わるんだよと思う。やらなくちゃ、と思ってる人間の言葉なんか全く信用できない。何かを成そうが失敗しようが、やった人間の言葉にしか重力は作用しない。
そんなことを思いながら終電に乗って最寄駅から家まで歩いていたところ、人気のない道で走っていた車が目の前で停まり運転席側の窓が開いた。成金っぽい車から成金っぽいおじさんが声をかけてきて、名刺と高い時計を渡す代わりに飲み代をくれと頼んできて怖かった。
日曜日の夜に出かけ、新宿で酒を飲み終電でとぼとぼ帰っていると珍しいこともあるもんだ。
飲み代をくれと言われるまでは名刺と時計を貰おうと思ってしっかり話を聞いて手渡された化粧箱を握りしめていた貧乏性を嘆くとともに、自分は狙われさえすれば詐欺屋のチョロいターゲットだと思った。ねます