ここのところしばらくだらだらと遊んだり寝散らかしたりと怠惰の限りを尽くす日々だった。さすがにそろそろやばいかな、と久々に湯船に浸かって思った。
普段ずっと特に興味があるでもないテレビをつけっぱなしにする癖があるのですが、お湯の中にいる間しばらくぼーっとしていたら、耳にも心にも珍しくなんにもうるさくない時間を過ごしていることに気づいて感動した。耳だけに限らず、最近は暇さえあればツイッターインスタグラムはてブを横断して更新を待ち続けている。常に誰かの何かを知りすぎている、という状態について、しばらく前まではもう少し懐疑的でいれたような気がしていたし、積極的に見ようとしている現状は自分の寂しさのあらわれなのかもしれない。
混沌とした世界に何らかの切り口を与えるのが考えることだとしたら、切り口を作るための刀を研ぐのが勉強で、研がずに放置してるとその刀は丸っこいゴルフクラブになり、世間話しか出来ないようなおじさんになってしまう— ウ (@nkrumafia) 2016年6月14日
自分の傲慢な寂しさに素直でいつづければ、世間話しか出来ないようなおじさんになってしまう・・・
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