2016年10月1日土曜日

いつかの風景

「艀・凪」
しばらくの間、そわそわと日を待ち続けて届いたのでやっと聴くことができた。

艀という曲は、2016/06/03にアップされたライブ映像



を公開当初から何度も見ていたので耳に馴染んでいた。

去年出たEPは、表情にうっすらと暗い影を落としてはいるもののそれでも前を向いている感じがしていたけれど、この艀という曲から想起される薄く靄のかかった情景を浮かべては後ろ向きで湿っぽい印象を得ていた。抑えきれず感情が加速するように感じる瞬間も部分的にはあるが、どこかふさぎ込んでいる感じがする。

その抑圧された印象は新しく収録された音源ではより増していた。



どうしてそのように感じたのか考えてみた。ライブよりもテンポが少し遅く、演奏が大人しくなっていることもあるけれど、何より言葉がはっきりと聴こえるようになったのが最も大きな理由であるように思う。
「通り過ぎていく」「いつかの風景」
この曲で発せられる言葉はすべて過去を匂わせるし、
「声は届かない」
どうしようもない様子を語るだけで憂鬱が漂う。
最後にはそれでも同じ動作を繰り返す誰かの姿が見える。やるせなさを残したまま音楽は鳴りを潜める。

(ガチャ)(カセットがオートリバースする音)

静かなアルペジオから始まる凪。
凪は、風が無く穏やかな波のない海の状態をさすらしい。
どうしようもないままの過去を丁寧に拾い集めて、それがやさしく現在に染み渡っていくように感じる。時間の経過が耐えられない過去の経験を風化させて丸くなっていくことは当たり前のように語られるけれど、提示された他者の物語を眺めることでその過程を辿るとかなり尊い営みみたいだ。

書きながらじわじわと思い始めたけど感情は水辺の石かもしれない。
鋭く尖った石が荒々しい水の流れで風化して、いずれ辿り着く穏やかな下流で丸くなっているのは、時間の経過と感情の関係にめちゃくちゃ似てないでしょうか。
これからも私たちが記憶から解放されることはないでしょう。堆積した古い記憶が褪せていくだけだ。




(まったく作品に関係のない感想)初めて誰かの作品のスペシャルサンクスに載せてもらって、しかもそれが粟國のバンドというのがかなり感慨深いです。何もしていないのに。二十歳を過ぎても尻を叩かれる。

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