先の日記は愚痴になってしまってすみません。毒を吐くのは誰にでもできるけどなんとか気の利いた感じに昇華できるくらい心の余裕を持ちたい。
これまでの人生、しないといけないことがひとつ終わったら長期間休んで休むのにも疲れたらまた活動するようなスタイルでかなりゆるかったのですが、最近あまりそうも行かず少しずつ社会に近づいているの感覚がある。携帯電話の通知をあまり見ないように気にしないように心がけるのを良しとしていたストイックな過去もいまははるか遠く、むしろ常に注意を払って迅速な連絡が求められている。かといってそれによって何らかの意味を見出したり価値を創っているかといわれるとよくわからない。まだ知人どうしのパーソナルなメールで一喜一憂したりすることのほうが重要だったようにさえ思える。仕事ってそういうもんか!と開き直って、たまった鬱憤は酒に流して夜眠るしかないのかもしれません。支離滅裂になってきたけど文意を察して…
nuitoの人も
と書いていたし、自分の振る舞いたいように振る舞うということの難しさを日増しに実感する。これについては、tofubeatsが言ってた、モラトリアム性の高い場所は持続可能性低いんだってば— ひらう (@hirausan) 2016年9月4日
”そもそも、ぼくらはもっと楽しく、音楽をやりたいんです。音楽だけをつくって、意気揚々と暮らしたい。そのために、いまがんばってるだけです。
(音楽家はなぜ音楽をつくるのか。そして、産業のために何ができるのか──tofubeats|WIRED.jp - http://wired.jp/series/wired-audi-innovation-award/23_tofubeats/)”という言葉が刺さる。そこまで苦労してやっていこうというのは、自分は少なくとも今は思えない。たぶん好きなことを長い間続けてきたからそれなりの苦労も抱える覚悟があるのではないか。これだけの言葉を言える人に対して、輝かしい部分だけ切り取って、うらやましいなんて手放しに言うことはできない。
や〜なんか難しいっすね〜人生 がんばろ
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