乗り気でないまま、だけどなんか、みたいな弱めの衝動に駆られてブログの管理画面を開いた。
たぶんそろそろ上半期も終わろうとしているから区切りをつけたいとでも思ったのか、あるいは生まれてこの方過ごしたことのないような息苦しい数ヶ月を過ごして少し気分が塞いでいるのかもしれない。ブログなんか書きたくなるのは得てして気分が落ち込んでいるときと相場が決まっている。
2020年が始まってからのことを少しずつまとめてみようかと思う。
1月は友達の結婚式に参列するために福岡に帰った。
新郎は、熊本の大学で出会ったものの、かつて同じ時期に大牟田という狭い町で同じ時間を過ごしていた妙な縁がある。2個年上だけど初めから全く先輩とは思えなかった。見下していたわけではなく、小学生の時の上級生みたいな親近感があった。
いつも笑ってるのになんかぬるっとした雰囲気をまとっていて、式当日に雨が降っていたのもこの人らしいという感じがして面白かった。
式の日はずっと起きていて、何軒も店をはしごした。酒で潰れるギリギリのラインを攻め続けたのか深夜から早朝までの記憶が針飛びしているが、途中で帰っていく人達の後ろ姿がぼんやり印象に残っている。
チャラいクラブでしらけて外に出て、薄明るくなってきた交番前で突然こみあげた胃液をぶちまけてしまった。一緒にいた人たちがまだ地下から出てこなかったから、近くの公園の茂みに隠れてもう一度吐いた。
全部出し切るのに結構時間が経っていたのかもしれない。一段落したところで着信に気づいて合流、タクシーで散り散りに帰った。
帰りの飛行機は搭乗時間に空港に辿り着き、ダッシュでなんとか間に合った。ドイサイエンスが東京に行くといつもやるやつだ・・・と思った。
まだ腹に酒が残ってるのを感じながら走ったせいで全身ビリビリ、寝不足なのもあって飛行機は離陸を前に眠ってしまい起きたら成田だったので大変驚いた。その後、ゲートに向かうバスに乗り込むと昨晩結婚式に同席していた友達を見かけてさらに驚いた。
空港で寿司を奢ってもらったが、貧血での立ち食いはかなり救急車を覚悟した。味もわからず視界は揺れるし、申し訳ないことをした。
東京まで一緒に帰った。「北関東のどこかから今度東京に引っ越す」ということを聞いた。体調が悪かったので寝た。
2月には翌月に94の誕生日を控えていた祖父が他界した。(冠婚葬祭のうち2つが立て続けに…)
危篤であることは会社にいる昼のうちに親からの電話で気付いていたけれど、その夜に訃報の電話を受けて、思ったよりもショックを受けなかったことが寂しかった。電話を切るなり、目の前で飲みかけだった酒をまだ飲む余裕があった。
実家に向かう飛行機を翌朝一番の便で予約したが寝坊した。空港に向かう電車の中で間に合わないことがハッキリしてきたとき、落ち着いて次の便を予約し直す自分の冷静さが嫌だなと思った。
実家までやけに長かった。実家の仏間で箱の中に入ってるじいちゃん見ても寝てるだけみたいで現実味がなかった。通夜が執り行われる斎場に向かう前に、残っていた味噌汁をよそって飲んだ。
悼む暇もなく葬儀屋とのやりとりとか、形式的なことが矢継ぎ早に目の前で起きるのを見ていた。特にやることもなかったが、あんまり落ち着くこともできなかった。
兄と父と深夜に長居した斎場の喫煙所、親戚一同に馴染めず兄と伯父と長居した火葬場の喫煙所など、やたらと喫煙所の記憶ばかり残っている。
すべてを終えて祖父の遺骨を家に持ち帰り仏間に祭壇を設えたあと、線香を上げた時にようやく死の実感が生まれてしばらく泣いてしまった。
大好きな人がいなくなるのは寂しいのでしばらくは起こらないでほしい。
翌日には実家で久方ぶりにいかにもな家族団欒があった。みんな普段一緒にいないので子供の頃みたいで新鮮だった。一人いないけど。
通夜葬式の時にも大勢の親戚を前に思ったが、死んだ人が死ぬ前に会いたかったであろう人達がいっぺんに集まる機会って死んだ時くらいしかないのは結構つらいことだなと思った。
3月くらいから少しずつ新型コロナウイルスの話題で世間が不穏な空気になってきた。
4月から会社もリモート勤務になり、家からほとんど出ない日々が続いている。
5月になってまた一つ年をとった。
酒量が増えてちょっと太ったように思う。中古のシンセサイザーを買って少し弾けるようになった。髪を切りたい。早くみんなに会いたい。
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