2022年1月17日月曜日

パリャーソ

 年末年始帰省記録の続きです。


12/30

兄が新車を買っていて、その長距離試運転に付き合ってほしいとのことで阿蘇までドライブに連れて行ってもらう。試運転に付き合うとかいう口実は照れ隠しでせっかく帰省したんだからと気遣って乗せてくれたんだと思いありがとう。

雪が降ってたら大変だなど話しながらこれから登る遠くの山を見やり、カーナビの示す「この先20km直進」のガイドに笑ってしまった。20km直進できることはあまりない。

阿蘇は大観峰に行った。充分すぎるほど着込んでいたがあまりにも風が強く寒かった。髪はボサボサだし目も開いておらず、撮った写真はほとんど見返さなかった。でも普段見れない景色が見られて嬉しかった。険しい山の感じとかほぼ忘れていた。去り際に買った馬肉コロッケが美味かったけど一瞬で冷えてしまった。

帰りに兄がよく行くという菊池のクラフトビール屋に寄ったらものすごく良かった。ビール数本とオレンジワインを一本買った。普通に通販したいくらいの品揃えだった。帰省後クラフトビールを説明してもらいながら飲む機会が多くて、東京に戻ってからもちょくちょく買って飲むようになった。

まもなく家に着くというところでスーパーに寄ったら明らかに刺身が新鮮そうで安くて感動した。毎日の満足にかかわりそう。酒と夜のつまみの材料をいくつか買った。

帰宅して福岡市内で行ったみやけうどんの話をしていたら、兄が孤独のグルメのドラマ版で見たことあるとのこと。サブスクで探してみたが消えていた。たしかに井之頭五郎があの店で困惑したり唸ったりしているところを見たい気はする。

夜はまた酒を飲んだ。兄の作る料理がいちいちうまい。帰省初日にはしこたまあった缶ビールがなくなった。


12/31

母方の祖母宅に挨拶へ行く。兄も後から車で来るとのこと。全然歩いていける距離で、途中の景色も開けていて歩くのが好きだ。

以前は沈黙することはあまりなかったが、なんかうまく喋れない。だらだらの仕方を忘れて妙に緊張してしまった。ここではだらだらできない者はテレビかスマホに逃げるしかない。逃げなかったから、場をつなぐためにせんべいとみかんを食べすぎた。そろそろ帰るという段になってみんなガンガン喋り始めて自分も気負わず話せるようになる。そんなことある?

なにしろ自分がまもなく30代に差し掛かるのだから、やっぱり久々に会う親類が歳を取っていることをかなり実感する。親の世代は定年退職しているし(みんな再雇用でまだまだ働いてるが)、そのもう一つ上の世代は本当に身体がつらそうで、全体的に空気がスローになっている。小さい子供とか遊びに来てれば雰囲気も変わるだろうけどいない。

一時間くらい過ごして家に戻る。後から来ると言っていた兄はすっとぼけた声で「もう帰ってきたと?」ここでは一時間くらいは「もう」なのか?

兄とスーパーに行って今日の酒とつまみの材料を買う。大晦日だからか生鮮食品がほとんど半額になっている。自分が「年またぎでPOSの管理が面倒になるから売り尽くすのかな」とか言ってたら兄が「正月しばらく店閉まるけんやろ」と言っててごもっともと思った。当たり前のことを遠回りして考えて頓珍漢な答えを出すことが増えている。兄はまだ夜の浅い時間に半額になっているのが珍しいからと写真を撮りまくっていた。

家に帰ってからはまた当たり前に酒を飲んで飯を食べた。たぶんかなり久しぶりに紅白歌合戦をほぼ最初から最後まで全部見た。氷川きよしが歌い上げる美空ひばり「歌は我が命」で涙をこらえた。すごくよかった。生で聴いたらたぶんボロボロと泣き崩れて大人しく座っていられないと思う。

でも紅白全体については、なんとかして若者に擦り寄ろうとしてる感じで、痛いおじさんと話してる時みたいな気持ちになることも多かった。やっぱり演歌とか歌謡曲を大晦日に聴きながら年が変わるのを感じたい老人もいるんじゃないか。おもしろコンテンツは民放に任せて。これ老害っぽいかな。

そのまま年越しはNHKでゆく年くる年を見ていて、東京は浅草寺が大混雑している中継映像を見てげんなりした。家にいてよかった。

その後続く新春特番のバラエティを一通り見て、何時かわからないが眠くなったので寝た。


1/1

遅く起きた。郵便受けに届いている年賀状を回収して宛先ごとに仕分けするのはかなり久しぶりだった。枚数があまりにも少なくて寂しい。昔は友達から届いて嬉しかった。自分はそもそも送っていないし今ここには住んでいないので当たり前に一枚も届いていない。祖母はついに通っている介護施設からの一枚しか届かなくなってしまった。

寺と納骨堂と神社へ参拝しに行く。その途中に昨日行った母方の祖母宅がある。また寄って新年の挨拶。挨拶だけと思っていたらこたつにどんどん酒とつまみが運ばれてくる。ちょっと迷っていよいよ飲もうかと考えていたら母から電話があり、もうすぐ着くから飲む前に参拝に行けとのこと。完全に目の前のビールに気持ちが向いていて先祖への気持ちを忘れていた。

そういえば納骨堂へは祖父が亡くなって初めて行くんだった。あそこに骨があるんだなと思った。

結局夕方から夜10時くらいまで宴があった。酒が入るとみんなワイワイ喋っていて前日のように気を遣わなかった。

帰宅してからまた飲んでいた。なんの気無しに桃鉄を始めたら3時間くらいの白熱戦となった。ある程度酔いが回ってからやり始めるものではない(寝るから)。寝る前に兄と少しスマブラして就寝。


1/2

東京に帰る予定になっている。起きて少しだらだらしていたが、どうやら家族以外の声がするので戸を開けると父方のおじさんがいた。ノートPCとプリンタとコンビニで売ってる年賀状ソフト付属のムック本を持っていたので嫌な予感がする。案の定、パソコンに強い末っ子が東京から帰ってきたらしいとの噂を聞いて年賀状ソフトの使い方を教えてもらいに来たという。あと数時間で帰るのに…。

その上このおじさんとは因縁がある。自分がまだ子供の頃は実家が本家ということもあり盆と正月に親類が集まる宴席があった。男達は昼から大量の酒を飲みタバコを吸いまくり飯を食い、満足したらリビングに集まって空調のよく効いた部屋でのんびりテレビを見て駄弁っている。一方、女性はひたすらに酒を作ったり料理を運んだり片付けたりして忙しい。今ならよっぽど批判されるだろう九州の片田舎によくある一族の風景だったが、あまり大人がたくさん集まって楽しんでいるのを見る機会がなかったし、たまにしか会えない年上の従兄弟に会えるからこの席は好きだった。

しかし小学四年生の時に一度だけ物凄く悔しい思いをして泣いたことがある。自分が当時白米にカルピスをかけて食べることにハマっていて、この宴席でも平常通りこの食べ方をしていた。近い席のおばさん達はその変わった食べ方に驚きながらも笑っていた。奥の方に座っていた男がすっと立ち上がった瞬間にこれを発見、大声で「食べられないならそんな食べ方をするな」と怒った。自分はもともと食べるのが遅く、自分のペースで楽しんでいたのにそんなふうに怒られて、せっかく楽しかった雰囲気が静まり返ってそれが自分のせいのような気がして喉の奥が熱くなった。「た、食べられます」と涙まじりに口ごたえしてカルピス漬けのご飯を一気にかきこんだ。高速でかきこんだのち、その場にいることに耐えられないから茶碗を卓に叩きつけるようにして、誰もいない部屋に行きワンワン泣いた。カルピスごはんを今食べたいとは思わないが、カルピスごはんを下品な食べ方だと言うのなら、おはぎとかもちゃんと下品だと思わないと釣り合わないぞと今でも思っている。

それで、この時大声でがなり立てたおじさんというのが前述のPCプリンタムック本持参おじさんであった。堅物だったこのおじさんも今では随分丸くなり、祖父の葬式の日に色々話したことで悪い印象はほとんど払拭した。まだ腑に落ちないこともあるけどもうかなり昔のことだしそもそも本人は覚えていないだろうから話していない。同様に丸くなった自分は大人しくムック本に目を通し、使い方を把握した後で一通りデモをして、おじさんにも同じ手順を試して覚えてもらった。おじさんが住所録を入力しているときに感動したのは、昔の名残で半角カナで文字入力を行っていたことだった。

(参考: 【ちょっと雑学】なぜ半角カナを使うのか? )

教えてもらったおじさんは感謝してすぐに帰っていった。やっぱり掴みどころのない人だと思った。

そうして時間を潰したので、慌てて家を出る準備と帰りの新幹線の時刻を調べたりしてから、少し家族と話したのち兄の車で新幹線の駅まで送ってもらった。毎日のんびり楽しく過ごすことができた。5kg太っていた。

自分の家から新幹線の駅が近いこと、博多駅から福岡空港までが近いことでものすごく帰りやすいんだなと思った。地元はある程度栄えている場所にしか在来線の駅がなく、実家は最寄りの在来線の駅まで徒歩1時間ほどかかる。新幹線は最近開通したから土地が安くて何もない場所に作ったのだと思われる。以前は在来線に乗るだけのお金しかなかったから家族や友人に車で迎えを頼む必要があり、都合が合わなければ歩いて帰ることになるので結構しんどかった。帰省するときに迷わず新幹線に乗れるくらいの稼ぎは保ちたいと思う。

行きは羽田からJALに乗ったが、帰りはジェットスターだったので成田に着いた。着いたら第3ターミナルのフードコートで何か食べようと思っていたのに、ほぼ全ての店が閉まっていてゴーストフードコートだった。いつも賑わっていた場所に人が全然いないのは寂しい。京成スカイライナーに乗ろうとして券売機のタッチパネルと格闘していたら突然タイムアウトのようなダイアログが表示された。次の電車がまもなく来てしまうから予約できなくなるため予約画面から強制的に離脱させられたらしい。後ろで見ていた駅員が声をかけてくれ、切符発券を爆速で行う神対応だった。急いでいるときこそ生身の人間が立つ窓口に行くべきだと学習した。

車窓の外を見ると成田周辺の田舎の景色から少しずつ東京っぽい景色に変わる。本当に少しずつ。帰ってくる時は成田着がいいなと思った。羽田に着いて電車に乗って、すぐに都心の景色に変わると適応するのにかなり疲れるから。

最寄り駅に着いてジョナサンで晩ごはんを食べた。正月でバイトが足りないのか忙しすぎて店員の頭が回っていなさそう。申し訳ないがうまかった。

一週間ぶりに家に帰ると冷蔵庫が壊れて常温になっていた。

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