2020年7月3日金曜日

貧しい机上

・6/26
朝、仕事前にしてはかなり気が向くままに知らない道を散歩した。
最寄り駅を目前にしたところで、「このままでは駅に着いてしまいかつての通勤時間を思い出す感じになってしまう」と焦りを感じて曲がったことのない方向へ折れてみる。

「この辺はいかにも高級住宅街…」「こんなところにたいやき屋あったんだ」「へえ見たことない小さい商店街」などと見たままに対して逐一感想を浮かべながらぼんやり歩いていたら下北沢の知ってる感じの道、というか普通に茶沢通りのあの辺(察してください)に出た。
ここを朝に歩くのは、以前オールナイトのイベントに遊びに行った時ぶりであり、なにしろその日は酒の酔いと疲れを抱えたままだったので、磯丸水産でだらだら始発を待ったことや、なぜか持ってた巻き煙草をわざわざ友達に巻いて渡して、まだ改修工事していた駅前の地べたに座り込んで一緒に吸ってくらっとして朝日が眩しかったくらいの記憶しかなく、こんな何の変哲もない通り道などちっとも覚えていないのである。

そういうわけで、図らずも通勤時間帯に茶沢通りのあの辺に出てしまった結果、近所の幼稚園児が先生達に手を引かれてお出かけしている場面に遭遇することとなったのだが、昔から下北沢を「音楽とか演劇の文化が盛んでいかにも東京っぽい街」と認識していた人間としては普通にその地域の日常らしい光景を見れて嬉しかった。

その後家に戻って仕事。先週に引き続きくるりの歴代アルバム全部聴く試みを敢行。坩堝の電圧以外全部好きだ。
再生するとくるりだ!という感じの空気でいっぱいになるのがくるりらしい。

・6/27
ゴンチチのラジオ、テーマは「からっぽの音楽」。久々にあまり収穫のない回だったような気がする。
俺は俺自身をからっぽだと思うことが多いため、からっぽな物をわざわざ自分の外に求めなくてもよい。

夕方、近所の公園でスケボーの練習を見守ったり、10年ぶりくらいに鉄棒をしたり、草むらを側転したりしてちょうどよく疲れた。
荷物をいくつか部屋に置きに戻ってから、少し遠いけれど徒歩圏内にある品揃えがいいスーパーへ。ちょうどいい徒歩の疲れを感じられるくらいのちょうどいい距離にあるお店であり、しょっちゅう利用している。毎日食べるものより少しだけいい食べ物と酒をそれなりに調達、帰宅、飲酒。なんかだらだらしたりしつつ、朝方トロンと眠りこけた。

・6/28
日曜日なのになんにも思い出せない。たぶん家にいた。

・6/29
心に残る月曜日にしたいと先週願ったばかりだったのだが失念。大したことなかったんだろう。

・6/30
たぶん一日家にいた。大したことなかったんだろう。

・7/1
一日中雨が降ってて気圧がやばかった気がする。雨自体は大したことなかったのにやたらとNHKの防災速報アプリが警報の通知送ってきて面倒だった。

夜、NHKで植木等のスーダラ節特集の番組を見る。
おそらく小学生か中学生の頃、夜に風呂に入るのが億劫で朝風呂に入る習慣がついていたのだが、それを見て厳格な祖父は「朝からゆっくり風呂に入るなんて植木等みたいにいい身分だな」とよく皮肉を言っていた。
本当に植木等を引き合いに出していたのか記憶が曖昧だが、それ以来植木等は自分の中で特別な存在である。

上記のような皮肉のために引き合いに出されていたのに反して、番組内で描かれていたスーダラ節を歌うことへの葛藤はその真面目な人柄を表す象徴的なエピソードだった。
久々にテレビ番組で喉がキュッと締まるようないい番組だった。

・7/2
都知事選を週末に控えて新型コロナの新規感染者数が久し振りに100人を超えたらしい。
一日中天気は良かったが一歩も外出することなく家で過ごした。

夕方、注文していた中学数学を復習するための参考書が届いたのでパラパラとめくる。
中学数学から復習しようと思ったのは、中1から中2にかけて学校に行っていない期間があったため図形の証明問題を履修しておらず、高校入試に出題された数学の問題でもその単元に関連する箇所を未記入で提出した苦い思い出があったからである。
ネットがあり、学習のためのリソースがあり、調べる能力をそれなりに身につけた今、わざわざ参考書まで購入せず家で済ませればよかったんじゃないか的な気持ちも湧かなくはないが、こういうのはやる気出すためにとっとと金使ったほうが早いということを歳を食った俺は知っている。

しかし目次を見るにこの内容量に3年かけて学習していたというのはかなり贅沢に時間を使っていたのではないか。
それとも概念を獲得して10年以上経ってしまったので当時の苦労など思い出せないだけで、結構頑張ったんだろうか当時の俺は。

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